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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー自由民主党・平将明議員に聞く! デジタル政策の未来と日本の成長戦略【前編】

自由民主党・平将明議員に聞く! デジタル政策の未来と日本の成長戦略【前編】

投稿日2024.7.16
最終更新日2024.07.16

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バブル崩壊後、経済の低成長が続き「失われた30年」を過ごした日本。今後、少子高齢化に伴う生産年齢人口の急激な減少が予想される中、デジタル化による生産性向上が不可欠です。
今回のインタビューでは、自由民主党・デジタル社会推進本部での活動をはじめ、テクノロジー政策に関する多数の提言を中心になってとりまとめている平将明議員に、これからのデジタル政策と、人口減少に直面するなかでの日本の成長戦略、また政治家を志したきっかけなどについてお伺いしました。

(文責:株式会社PoliPoli 中井澤卓哉)(取材日:2024年6月17日)

平将明議員インタビュー

平 将明(たいら まさあき)議員
1967年東京都生まれ。元内閣府副大臣。
会社員を経て、家業の仲卸会社社長、東京青年会議所理事長などを務める。
2005年、衆議院議員選挙に初当選。当選6回。

中小企業経営者としての苦労と公開討論会-「自らリスクを取る当事者になる」思いから政治家へ

ー平議員が政治家を志したきっかけはなんだったのでしょうか?

子供の頃からなんとなく政治家になるんだろうなとは思っていましたが、大きなきっかけは2つありました。1つは、家業である大田市場の野菜の仲卸の経営を3代目として継いだ際、ちょうどバブルが崩壊をして大変な苦労をしたことです。

それまで絶好調だった経済が音を立てて崩れていき、経営者としてバブルの後始末をしなければなりませんでした。バブル前に銀行に言われるがままに買わされた不動産などは価値が10分の1にもなる一方で、銀行にお金を借りに行くとすでに担保を出しているのにさらに担保を出せと言われたり、リスクをとってそのぶん金利を高くするなど工夫して貸し出す銀行がなかったり、そういう事実を目の当たりにしました。この時の経験から中小企業の経営者やいろいろな事情があって大変な中で働いている人など、本当に苦労をしている人が政治家にいるのかなという思いが芽生え、このことが政治家を目指す上で大きなきっかけになりました。

ーもう1つのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

2つ目のきっかけは、東京青年会議所での活動です。当時リンカーン・フォーラムというNGOが作ったマニュアルに基づいて、公開討論会を東京青年会議所の活動として展開していていました。

2000年ごろまでは、選挙となると貼り出されたポスターや選挙カーで連呼される名前のような限られた情報で選ばないといけないケースがほとんどでした。私自身は掲げる政策で候補者を選べることが重要との思いが強くあって、これを当たり前にしようと公開討論会の導入を進めました。2000年当時、私は大田区の委員長だったので、まずは大田区、次に隣の品川区でも公開討論会をやり、結果的に東京青年会議所(東京23区内)で17ある選挙区のうち5つで公開討論会を実施しました。その後、東京青年会議所の理事長になった際、「東京の選挙区全部でやるぞ」という大号令を出して、2003年に衆議院の解散総選挙があった際にはすべての小選挙区で公開討論会を実現しました。

公開討論会を各所で実現しつつ、政策議論のコーディネーターをやる中で、政策議論を聞いても入れたい候補がいない選挙区はどうしたらいいのか、ということに気づきました。「その場合は自分で出るしかない」と新たな思いが芽生えて、2005年に自由民主党の公募に応募して衆議院選挙に立候補しました。

ー最初のきっかけは公募だったんですね。

そうです。実は、今では当たり前になっている政党候補者の公募制度は、公開討論会がひとつのきっかけになっています。当時の民主党は、ベテランの自民党の候補者がいるところにピカピカの候補者をぶつけて、公開討論会で勝負して勝つというパターンを作っていました。今までの政治家像とは違うタイプの人を発掘をするために公募制度が広まっていったわけです。

自分自身も、東京青年会議所での経験を通じて、提案するだけでは世の中は変わらないという思いを強くしました。言うだけではなく、そのフィールドに自らリスクを取って担い手として出ていかなければ、いくらいい政策も絵に描いた餅に終わってしまうのです。

平将明議員インタビュー

国のマネジメントに経営視点を-政権交代時に目の当たりにした衝撃

ー平議員は、「国をマネジメントする上で、P/L、B/S、資金繰りで考えるべき」ということをおっしゃっています。この着想に至った背景はなんだったのでしょうか?

自身が経営でかなり苦労したということはもちろんありますが、いちばん大きなきっかけは2009年の民主党への政権交代の時でした。当時の民主党が出したマニフェストを見たら、フローとストックの区別もついていない。毎年かかる支出(フロー)に対して、財源をどう充てるかという考えがなく、単発で売って終わりみたいなもの(ストック)まで財源に入ってるわけです。これは経営の観点からするとあり得ない。フローとストックの区別もつかない、10兆円単位で収支が合わない、こんなマニフェストが世の中に支持されて政権交代をできるんだというのが強烈なインパクトでした。

国は単式簿記・単年度会計なので、厳密には民間企業の経営方式と比較することはできません。一方で、日本を成長させていく上で、少なくとも国としての損益、フローとストックの区別をつけつつ、損益計算書・貸借対照表、資金繰りを意識することの重要性は変わりません。この国のポテンシャルを最大化するために、どういう税のデザインをすべきか、どういう規制のデザインをするべきか、支出はどこに振り分けるべきかということを、包括的に考えないといけないと思っています。

しかし、現在の日本にはそれを考える場所がない。政府には経済財政諮問会議という会議がありますが、今や司令塔としての役割も曖昧です。財務省は単式簿記でお金の出入りを管理してますが、投資的な資金を出すところは非常に慎重です。この国の強みは何で、競合相手はどう出て、それに対して我々の戦略は何で、そこにどう資源を配分するか、規制をどうデザインするか、という戦略を担う役割は、実は明確にあるわけではありません。

ー民間企業でいうと経営チームのような、包括的に戦略立案を担う司令塔が不在ということですね。

そうです。なので私は、自民党が野党だったときに経済財政諮問会議を復活すべき(*)だと言ったし、当時は経済産業部会長に抜擢されたので、今までの財政政策のみならず、成長戦略や日銀の金融政策と一体的に政策パッケージとしてまとめるべきだという提案をしました。それが形を変え、いろいろな議論を経て最終的にアベノミクスになってくるわけです。

(*)2009年〜2012年の民主党政権時、経済財政諮問会議は実質的に活動停止状態だった。

一方で、政府の場合は普通の企業と違って、紙幣を発行できる日本銀行があります。これをどう整理するかについては様々な議論がありますが、それを踏まえたとしても、P/L、B/S、資金繰りで国家の経営をしましょうという考え方は、国のポテンシャルを最大化するという観点で国家を正しい方向に持っていく可能性が高いと思ってます。

(日本のデジタル政策の未来と成長戦略とは….<インタビュー後編>に続く)

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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