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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー内閣府政務官 兼 環境大臣政務官・国定勇人議員に聞く! ゆるやかで個性的な地域社会を作るための政策とは?

内閣府政務官 兼 環境大臣政務官・国定勇人議員に聞く! ゆるやかで個性的な地域社会を作るための政策とは?

投稿日2024.7.12
最終更新日2024.07.12

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2050年のカーボンニュートラル実現に向け、地方創生と脱炭素を同時に実現する地域づくりが進められています。環境省は全国で脱炭素の取り組みを展開していくためのモデルとなる地域を「脱炭素先行地域」と定め、2025年度までに少なくとも100か所選定することとしています。

今回のインタビューでは、内閣府政務官と環境大臣政務官を兼務される国定勇人議員に、新潟県三条市長の経験も踏まえながら、持続可能な地方を作る上で環境政策が果たしていく役割について横断的にお伺いしたいと思います。

加えて、国定議員が政治家を目指したきっかけや、政治家としてのこれからの展望についてもお伺いしたいと思います。

(文責 株式会社PoliPoli 秋圭史)(取材日:2024年4月12日)

国定勇人議員インタビュー

国定勇人(くにさだ いさと)議員
一橋大学商学部卒業。
郵政省、総務省を経て2006年に三条市長に就任。4期14年務める。
2022年衆議院選挙で初当選。現在 内閣府政務官と環境大臣政務官を兼務する。
ラーメンが好き。

具体的な誰かの顔を思い浮かべながら仕事ができるのが地方自治の醍醐味

ー最初のキャリアは総務省(郵政省)でした。政治家になるまでのキャリアを教えてください。

郵政省(当時)に入省してからはずっと地方に行きたいと考えていました。本省で6年勤務していましたが、3月のとある日に上司に呼ばれ「3週間後、三条市に異動してくれ。」と言われました。嬉しいお話で、「ありがとうございます。ところで三条市ってどこですか」と返事をしたのが当時は場所すら知らなかった三条市との最初の出会いでした。

ー「よそもの」として三条市に行ったんですね。どのようなところからお仕事を始められたのですか?

ひたすら地元の人や市役所の人とお酒を飲んでいました。新潟はお酒も美味しいですからね(笑)。このような関わりの中で、自治体の仕事は具体的な誰かの顔を思い浮かべながら取り組むことができるという魅力に気付きはじめました。

中央省庁での仕事は細分化も進み、どれだけ社会に役立っているのか、実感を持てない部分もあります。市役所での仕事は対照的で、どれだけの効果が現れているのかを自分の目で見ながら取り組むことができました。これが地方自治の醍醐味です。国会議員である今も地方自治の手触り感は捨てがたいものがあります。

この経験をなかなか言葉にするのが難しかったのですが、私と同じように中央省庁から別の自治体に来られた職員の言葉が非常に心に残っています。「省庁で働いていたころ、国民や市民、住民は概念で抽象的な言葉にすぎませんでした。でも自治体に来てからは地域の人の顔を思い浮かべながら仕事できています。」

彼のこの言葉に、地方行政で働く魅力が詰まっているのだと思います。

ーその中でより思いが募って市長に?

当時の三条市は平成の大合併を経験した直後で、それぞれの地域をいかに融合させ、魅力を高めていくかはとても大きな課題でした。三条市は、ものづくりの街として当時から評価がありました。しかし、その無二の個性が十分に発信できてはいませんでした。街のよいところと悪いところは表裏一体で、いわば「51対49」の世界観です。1ポイントひっくり返せば、魅力でないと思っていたところも魅力にすることができる。全国の人たちに、三条市の魅力に気づいてもらえれば、誇りを感じ、自分たちの街を好きになってもらえるのではないかと思っていました。

市長という役職の特徴として、国会議員よりは、大統領に近い側面があります。それは権限の大きさで、政策の方向性について、大きな決定権を持っています。三条市は、本当に魅力のある街なので市長となり、よりよい街に変えていきたい。そう思っていました。また、振り返ってみると、あらゆる政策分野を自分が管轄しながら取り組めることも官僚の仕事ではできない魅力で、やりたいと思った1つの理由だったと考えています。

ー三条市が全国的にも知名度を持つ結果が出てきた中で、国会に行こうと思った背景はなんですか。

3期12年、市長を務めると街全体が自分の考えに寄っていく感覚を持つようになりました。誰も私に文句を言わなくなってきたのです。市長になってやるべき政策も実現していたタイミングでした。私自身は三条市の生まれでも育ちでもないので、いつかは地元の人に市長を担ってほしいと思っていました。

結果として、三条市長としては4期目の途中まで務め、やり切った感覚を持って終えることができました。そんな私が、自治体首長のキャリアを活かし、次のステージを考えたとき、必ずしも政治家の選択肢ではありませんでしたが、あまり器用な人間ではないので、政策や地方自治の経験を活かせる仕事でもある国政が次のキャリアとして芽生えたという感覚です。

国定勇人議員インタビュー

理想は高く、現実的に脱炭素に向けた取り組みを進めたい

ー現在、環境大臣政務官と内閣府政務官を務めていらっしゃいます。地方との関係では「脱炭素の地域化」がスローガンになっています。

環境問題によって私たちの生活は真綿で首を絞められている状況です。よほど意識を高く持たなければ、昨日と今日とで、そこまで変化に気づくことができません。そうすると危機感も持ちづらい。

だからといって、指をくわえて状況が悪くなることを待っているわけにもいかないのです。より多くの人を巻き込んだ動きが求められています。大手企業に脱炭素を頑張ってもらいますの態度だけではもはや手遅れ。環境省としても地域と暮らしに目線を当てて、脱炭素に取り組む必要がある。その視線の中で出てきたのが「脱炭素の地域化」です。

ー環境政策を具体的に前に進めるためのアプローチにはどのようなものがありますか

意識の高い人がさらに意識が高くなるような政策をやっても意味がありません。

たとえば私が三条市長のときに健康増進のため、新潟では珍しい歩行者天国を街の商店街に設置して、非日常な空間を作りました。

市民が滞留できる空間を設計することで自然と歩く距離が増えて健康増進につながる。そんな意識の高くない人にも影響を与えられるアプローチで、日常の中に行動変容させていく工夫が求められるのが脱炭素の世界だと思います。

「地球のためにがんばれ」「未来のために行動しよう」これらはスローガンとしては正しい。しかし、正しさだけでは人は動きません。脱炭素を真正面から見るだけではなくて、少し違う形でインセンティブをつけて解決していくための取り組みが求められているのです。

中央省庁の職員のみなさんは非常に優秀です。環境省にも理想を持って入省していただいている方もいます。しかし正しさを追求するだけではなく、脱炭素に取り組む便益を見せていかないと行動変容にはつながりません。

地域と暮らしの視点で行動変容を追求するのであれば、一人ひとりの温室効果ガスを削減できたことを、見える化する必要があると考えました。もちろん完全な答えはいまだ出ていませんが、地域の企業では具体的な取り組みも始まっています。たとえば、昨年、脱炭素にどのように取り組めば、温室効果ガスを削減できるのか計算できるアドバイザー制度(「脱炭素まちづくりアドバイザー」)を作りました。

こんな社会を目指していこうと大きな絵を描いても、現場で1つ1つの取り組みに対して手を動かせる人がいないと、絵に描いた餅になってしまいます。現場で手を動かせる人がいて初めて、一人ひとりの行動変容につながっていくと思っています。

私は国会議員になる前まで市長を務めてきました。具体的な人や顔を思い浮かべながら仕事をしてきたのです。だからこそ司令塔である中央省庁からふわっとしたスローガンを掲げても、現場の人は動くことができないことを経験しています。この2つの視点を経験してきたからこそのアイデアで、これからも現場目線の政策作りを心がけていきます。

国定勇人議員インタビュー

人口減少社会にふさわしい地方のあり方を追求していきたい

ー今後のビジョンを教えてください。

環境政務官を2期連続で務めることとなりました。しっかりと職責を果たしたいと思います。現在、国際社会では国際プラスチック条約をまとめる段階にきており、今なお150カ国ほどで交渉が継続されています。各国それぞれの立場があるので、非常に難しい交渉です。プラスチックは環境対策だけでなく産業力強化にもつながる話ですから、粘り強く続けていきます。

西欧諸国、特にEU諸国はルールを作るのが非常に上手です。著作権などは典型的な例で、創作物に知的財産権を付与して、それを利用する場合はお金がかかるようにした。この発想で市場を作り国際社会をリードしてきました。

脱炭素においては、電気自動車産業も西欧諸国がルール作りをリードしてきました。しかし、国際市場が中国企業の電気自動車が占めるようになると、ルール作りを推進していた国々は、電気自動車による脱炭素を主張しなくなりました。自国の有利な土俵で戦う、これがルール作りにおける戦略です。

現在、脱炭素を推進する国々が1番注目しているのがプラスチック分野です。電気自動車産業と異なり、中国は現在のところプラスチックをリサイクルできる技術を持っていません。しかし、ここにおいて日本はプラスチックのリサイクル技術で先行しています。このルール作りの動きを逆手にとって国際的な議論をリードできる可能性があります。脱炭素がお金に変わると思っている人はいませんでした。時代が変われば必要な政策も変わるのです。

ーこれが実現できれば政治家を辞めてもよい、という政策はありますか。

完全な地方分権を実現したいと思っています。西欧諸国には決して大都市とは言えない地方都市に世界的なブランドが本社を置いています。彼らにできて、私たちにできないなんてことはありません。

もともと日本も、江戸時代の幕藩体制でそれぞれの地域の自律性が高かった。金太郎飴のように全ての地域が同質ではない、それぞれの地域の個性を活かしてうまく経済化されている社会ができるといい。人口減少社会の中での戦略はかくあるべきだと思うのです。

三条市は人口が約10万人ですが、会社の数は何千社とあるわけです。その1つ1つの企業が、ニッチでも確実に需要のある付加価値の高い製品を市場に投入し続ければ、地域の活力は維持されるのです。5人の中小企業で年収1000万円を確保するには、単純計算ですが売上2億5000万円。これは絵に描いた餅ではありません。

大都市の東京に何でもかんでも集めて、その果実を配分する時代から確実に変わりつつあります。現場ではなく中央が作る基準の意味も変わってくるかもしれません。その意味で、これからの国会議員のやるべきことも変わってくると思います。私としては、もっと緩やかでもっと個性的な、そんな世の中にできればいいなと思っています。

国定勇人議員インタビュー

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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