リーマンショックとは、リーマンブラザーズという大手投資銀行グループの経営が破綻したことをきっかけに拡大した、一連の世界的な金融危機を指します。
リーマンショックは株価の大暴落につながり、世界経済を大きく揺るがしました。
今回の記事では、
- リーマンショックの概要
- リーマンショックの流れ
- リーマンショックの影響
- その他の世界的な金融危機
についてわかりやすく解説したいと思います。
本記事がお役に立てば幸いです。
1、リーマンショックとは
リーマンショックとは、2008年9月15日に、アメリカ第4位の投資銀行「リーマンブラザーズ」が倒産したことのをきっかけに、世界中に連鎖した金融・経済危機のことです。
リーマン・ブラザーズの倒産によって、世界中の投資家たちが相次いで資産を投げ売りしたことで、世界経済が大きく悪化したのです。
リーマンショックが起きた背景には
- 政策金利の大幅な引き下げ
- 政府による住宅取得支援政策
などによる、サブプライムローンの利用増加が挙げられます。
(1)政策金利の大幅な引き下げ
リーマンショックの数年前までは、ドットコムバブルと呼ばれるITバブルで、アメリカ経済は好景気でした。
しかし、連邦準備制度理事会(FRB)による金融引き締め政策によって、2000年からアメリカの景気は急激に減退したのです。
その後、FRBは経済を立て直すために、大幅な金融緩和政策を発動しました。
2000年6月から12月にかけて、政策金利を6.5%から1.75%にまで、大幅に引き下げたのです。
さらに消費刺激を狙った減税により、都市部住宅の価格は年々上昇。
住宅価格の上昇に伴い、低所得者向けの住宅ローンである「サブプライムローン」が拡大していきました。
(2)政府による住宅取得支援政策
アメリカ政府は、金融緩和政策と同時に
- 自助住宅所有機会プログラム
- アメリカン ドリーム ダウンペイメント(頭金) イニシアチブ
- 住宅カウンセリング
など、低所得者層に対する、住宅取得の支援策を行っていました。
これらは、当時のジョージブッシュ大統領が掲げていた「全てのアメリカ人に自分の家を所有してもらいたい」という考え方に基づくものでした。
こうした政策によって、マイホームを所有する人が増え、サブプライムローンの利用が増加していったのです。
2、リーマンショックの流れ
リーマンショックは、主に以下3つの流れで発生しました。
- 低所得者向けのサブプライムローンの貸付
- サブプライムローンの証券化
- 住宅バブルの崩壊
それぞれの流れについて、みていきましょう。
(1)低所得者向けのサブプライムローンの貸付
リーマンショックの発端は、住宅バブルに伴う「サブプライムローン」という仕組みが登場したことでした。
2004~2006年にかけて、住宅価格が上昇していたアメリカでは、高金利の住宅ローンが多く登場しました。
サブプライムローンの特徴は
- 低所得者でも借りられる
- 審査が甘い
- 一定期間後に金利が跳ね上がる
- 家を返せば返済義務がなくなる
というものです。
当時は、担保の住宅を差し押さえれば、ローン返済は問題ないと考えられていました。
そのため、返済能力の低い人でも、簡単に審査が通る仕組みになっていたのです。
このサブプライムローンの登場により、マイホームを持つ人が急増しました。
(2)サブプライムローンの証券化の横行
住宅バブルが進行するなか、リーマンブラザーズをはじめとする投資銀行が、次なる手としてサブプライムローンの証券化に着目しました。
さまざまな会社の社債などとセットにすることで、リスクを抑えた金融商品を売り出したのです。
また投資銀行は、最大手の保険会社「AIG」と組むことで、「サブプライムローン」に関連した金融商品を販売しました。
これにより、格付け会社などが高い評価を与えて、信用度が増加。
世界中の投資家や金融機関が相次いで、サブプライムローン関連の金融商品を購入していったのです。
(3)住宅バブルの崩壊
アメリカの住宅バブルを抑えるため、2004年から実行されていたFRBによる利上げによって、徐々に住宅市場が停滞し始めました。
2006年後半になると、サブプライムローンにおける
- 返済の延滞
- 住宅の差し押さえ
が急増しました。
これに伴って、住宅ローン関連の金融商品価格も下落していったのです。
サブプライムローンの問題は深刻化し、2007年には
- ニューセンチュリー・ファイナンシー
- ベアー・スターンズ
などの大手金融会社で、次々と経営危機が表面化しました。
そして、損失を恐れた多くの投資家が、金融商品を投げ売りし、市場は大混乱。
ローン受けの筆頭として、多額の損失を抱えたリーマンブラザーズが経営破綻したのです。
この大混乱が実体経済にも大打撃を与えたことで、リーマンショックへのと繋がりました。
3、リーマンショックの影響
リーマンショックは、アメリカ市場内だけの問題にとどまらず、世界各国へ大きく影響を及ぼしました。
ここでは
- 日本
- ヨーロッパ
での、影響について見ていきましょう。
(1)日本
サブプライムローンに関係していなかった日本の金融機関は、欧米に比べて影響は少ないと言われていました。
しかし
- 外国為替市場における円高
- アメリカ市場における日本製品の需要減少
などから、日本経済にも大きな影響を与えました。
ドルとユーロが下落したことで、円高が急速に進行しました。
その結果、
- 2008年の有効求人倍率:0.42倍
- 2009年の完全失業率:5.5%
にまで上昇し、深刻な就職難となりました。
2008年末には、非正規雇用の契約を更新しない
- 雇い止め
- 派遣切り
も増加。
東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」に多くの人が集まったようです。
画像出典:雇用・失業等の動向|厚生労働省
また、急激な円高から輸出も鈍化。
鉱工業では、2008年11月から、輸出向けの出荷が急激に低下しました。
画像出典:経済産業省
(2)ヨーロッパ
リーマンショックにより、ヨーロッパ各国の財政状況も悪化しました。
アメリカ市場で株価が大暴落した後、経済的な影響は
- アイスランド
- ハンガリー
- ギリシャ
などの債務危機へと広がりました。
2009年にはギリシャ危機が発生。
その被害はギリシャ国債を持っていた
- ポルトガル
- スペイン
- イタリア
などのEU諸国にも、金融危機が波及しました。
その結果、2011年に回復し始めたアメリカ経済と違い、ヨーロッパでは長期間の高い失業率が続きました。
4、その他の世界的な金融危機
世界を巻き込んだ金融危機は、リーマンショックだけではありません。
最後に
- ウォール街大暴落
- アジア通貨危機
についてご紹介します。
(1)ウォール街大暴落
ウォール街の大暴落とは、1929年10月24日から約1ヶ月間続いた、一連の株価の大暴落です。
大手金融機関が集中するアメリカ・ニューヨークのウォール街で発生したことから、この名がつきました。
最初の大暴落が木曜日だったため、「ブラックサーズデー(暗黒の木曜日)」とも呼ばれるようです。
この株価大暴落は、当時アメリカ最大級企業であった「ゼネラルモーターズ」の株価における、80セントという大幅な値下がり、がきっかけです。
この値下がりにより、不安を感じた国民が、銀行から預金を一斉に引き出しました。
この一斉引き出しにより、多くの銀行が倒産したのです。
銀行に資産を預けていた企業や工場も軒並み倒産するなど、次々と影響が拡大していきました。
画像出典:Macrotrends | The Long Term Perspective on Markets
暴落前のダウ平均株価は300ドル台後半であったにもかかわらず、翌月には200ドル台にまで下落しました。
また、当時の失業率は25%にも上り、4人に1人が失業しているという状態になります。
暴落から25年後の1954年11月23日に、暴落前の株価水準(300ドル台後半)に相場が回復しました。
(2)アジア通貨危機
アジア通貨危機とは、1997年7月に、タイを中心とした
- インドネシア
- 韓国
- 香港
などのアジア各国で発生した、通貨下落現象です。
アメリカのヘッジファンドを中心とした、機関投資家による大規模な空売りにより、タイの通貨「タイバーツ」が暴落。
これをきっかけに、東南アジアや韓国に、経済的な悪影響が連鎖しました。
日本も、アジア通貨危機に加え、
- 緊縮財政の導入
- 消費税増税の導入
- 世界的な株安
などにより、経済的な打撃を受けました。
日経平均は、2万円台から1万円台にまで下落したのです。
また、新興国における通貨不安は、
- ロシア
- ブラジル
の通貨危機と連鎖反応するように広がっていきました。
まとめ
今回は「リーマンショック」について解説しました。
海外株式を利用している方は、投資先の国における政策の把握も重要になってきます。
リーマンショックによる金融危機を理解することで、今後の経済の動向の把握に役立てていただければ幸いです。