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サッチー、やすし、宅八郎……当選できずに散ったタレントたち(故人編)

投稿日2021.3.31
最終更新日2021.03.31

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2021年秋までに、衆議院議員総選挙が行われます。
かつて、選挙において「知名度」が大きな要素でした。そのため、タレントの知名度を利用して票を集めようと、有象無象の有名人が選挙に立候補しています。
タレントとして活動し、選挙に出馬するも無念の落選となった意外な有名人をご紹介します。

出馬がきっかけで後に逮捕された人も

野村沙知代氏(1996年・第41回衆議院議員総選挙)

故・野村克也氏の妻として知られ、後にタレント、舌鋒鋭いご意見番として活躍した野村沙知代さん。1996年に行われた第41回衆議院議員総選挙に出馬し落選しています。
「サッチー」を担ぎ出したのは、当時「新進党」の党首を務めていた小沢一郎氏(現・立憲民主党所属)。
1996年の9月21日、小沢氏が正式に立候補を要請。小選挙区比例代表制で初めて行われた選挙に東京5区から出馬しましたが落選。比例でも同党6位でこちらでも及ばずという結果になりました。
このあと、選挙時の学歴詐称をきっかけに、浅香光代氏との「ミッチー・サッチー騒動」へと発展。
沙知代氏の公職選挙法第235条(虚偽事項の公表罪)違反の疑いと、脱税の罪が明るみに出て、沙知代氏の逮捕へとつながっていきます。

横山やすし氏(1992年・第16回参議院議員通常選挙)

関西が生んだ天才漫才師として知られるも、酒癖の悪さと奔放な性格が災いし、晩年はトラブルが絶えなかった横山やすし氏。亡くなる4年前の1992年に参議院議員選挙に挑んでいます。
日本の新右翼、民族派活動家として知られる野村秋介氏(1993年に朝日新聞社で拳銃自殺)が率いる右翼団体「風の会」から立候補するも落選。
選挙後の記者会見では「この党に投票しなかった国民は、アホや! ドアホや!」と吐き捨て、これまた話題を集めました。

水野晴郎氏(1983年・第13回参議院議員通常選挙)

1972年から1997年まで、日本テレビ系列の映画番組「水曜ロードショー」(※1985年からは「金曜ロードショー」)のホストを務め、「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」という名文句を生んだ映画評論家、水野晴郎氏は、1983年の参議院議員選挙に出馬しています。
新自由クラブと社会民主連合が結成していた統一会派「新自由クラブ民主連合」から名簿順位第3位で出馬するも落選。
落選後は、出馬のために1983年5月で降板していた「水曜ロードショー」に1985年4月に復帰。タレントや映画監督としても活躍しました。

永六輔氏(1983年・第13回参議院議員通常選挙)

「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」の作詞、ラジオパーソナリティ、放送作家、タレント…と幅広く活動した永六輔氏は、1983年の参議院議員選挙に挑むも落選しています。
1977年、非自民系・護憲の「革新」的な知識人・文化人・タレントが結成した政党「革新自由連合」の結党から政治活動を始めていた永氏。同党は1977年の第11回参議院議員選挙で横山ノック氏を当選させ国会へと送り込むことに成功しますが、1983年には名簿順位をめぐって同党は空中分解。永氏らは新たに「無党派市民連合」を結成して選挙に挑みましたが、無念の落選となっています。

宅八郎氏(2007年・渋谷区長選挙)

1990年代から2000年代にかけて「オタク評論家」として活動した宅八郎氏は、2007年に行われた渋谷区長選挙に出馬しています。
抱負は「渋谷を『萌える街』にしたい」。公約では「渋谷は秋葉原に負けている。メイド喫茶を増やし、アキバよりおしゃれな『渋谷系オタク』を確立する」等と述べ、街頭演説ではメイド服を来たボランティアを配置するなど当時オタクカルチャー圏内で中心となっていた思想「萌え」を前面に押し出した選挙活動を行いましたが、5,605票で最下位。落選しています。

かつてほど、「有名だから当選する」といった短絡的な集票は見られなくなりました。
それでも、知名度を活かして国政に打って出ようとする有名人は多いもの。
2021年に行われる衆議院議員総選挙では、どのような方々が出馬するのか、要注目です。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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