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政治ドットコムトピックス「話が長い」どころじゃない? 昭和の政治家の暴言(昭和50年代編)

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「話が長い」どころじゃない? 昭和の政治家の暴言(昭和50年代編)

投稿日2021.3.25
最終更新日2021.03.25

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コンプライアンスやハラスメントといった言葉のない時代、また、政治家の権力がいまよりも遥かに強かった時代、現在よりも強烈な「政治家の失言」がたびたび報じられました。
日本の憲政史に残る、政治家の失言をご紹介します。

「強姦やったヤツが生意気なこと言うな!」(1978年・昭和53年/浜田幸一氏)

ハマコーの愛称で親しまれた浜田幸一氏は、「政界の暴れん坊」とも呼ばれ、その言動はしばしば注目を集めました。
「ざっくばらんで本音が見えて良い」という好意的な受け取り方をする人もいたものの、発した暴言の大半はひんしゅくを買うことが多く、後世に語り継がれています。

上記の発言は昭和53年2月6日、第84通常国会の衆院予算委員会で発せられたもの。
国会のヤジはひとつの名物・文化となっていたものの、当時としても前代未聞の発言だと大騒動へと発展しました。

その予算委員会では「水田流用再編対策要綱」という法案が審議されていました。
野党の攻撃の矢面に立たされていたのは、当時農水大臣を務めていた中川一郎氏。中川氏は浜田氏の同志として知られていました。
攻撃の最先鋒に立っていたのは社会党の安宅常彦氏。
安宅氏のねちっこい戦略によって、審議は中断を繰り返し、まったく先に進みません。さらに安宅氏は「この法案は法律違反だ!」と批判しました。
これが浜田氏の逆鱗に触れます。

「強姦やるのとはわけが違うんだ! なにが法律違反だ! こんなことで(審議を)各駅停車させている与党の理事はだらしないぞ! 強姦やったヤツが、安宅! お前が法律違反などと生意気なことを言うな! バカヤロウ!」

議場は上を下への大騒ぎ。
このヤジを受けて社会党は浜田氏を懲罰委員会にかけようとします。
しかし、事態は急転直下。安宅氏から「それはやめてほしい」とストップがかかりました。
なぜなら、たしかに安宅氏は当時、女性問題を抱えており、もみ消しのために内閣官房長官だった田中六助氏に金の工面を依頼していたからです。
まったくもって「前代未聞のヤジ」ではありましたが、結局、浜田氏にはなんのお咎めもありませんでした。

「私も熊本県に住んで水俣病患者になりたい」(1979年・昭和54年/森下泰氏)

昭和52年4月、環境庁長官を務めていた石原慎太郎氏が、熊本県の水俣病患者を訪れて面会しようとした際、患者側から「面会拒否」の文書を手渡され断られたことがあります。国の患者たちへの不誠実な対応に抗議してのことでした。
その際、石原氏は「これを書いたのはIQの低い人たちでしょう」と発言。水俣病患者の方々を愚弄する言葉だとして、大騒ぎになりました。

それから2年後。
昭和54年11月19日、経済界が直面する問題について合意づくりを目指すことを目的に、「第2回経団連フォーラム」が東京の大手町で開催されました。
この日のテーマは「環境問題を考える」。
この会場にゲストスピーカーとして招かれた森下泰氏は、冒頭の挨拶で「熊本県では、申請すれば水俣病患者になってカネがもらえるから、そのうちに県民全部が水俣病患者になる。私も熊本県に住んで水俣病患者になりたい」と話したからさあ大変。
令和2年の現在、資料を元に振り返っても、なぜこのような発言が必要だったのか見えてこないほど不用意な言葉と言わざるを得ません。

森下氏は森下仁丹創業者である森下博の孫として生まれ、昭和18年からは同社の社長を務めています。
その後、政界に進出し、福田赳夫内閣で環境庁政務次官を務めるなど順調にキャリアを進めていたものの、昭和40年代の環境重視の政策に対しては一貫して批判的でした。
結局、この舌禍時間も一時問題となったものの沈静化。昭和59年に65歳でこの世を去りました。

現在、森下仁丹のホームページ上には自社の簡単な社史が公開され、森下氏の経歴も紹介されていますが、この発言には一切触れられてはいません。

「国民は国家をゆすり、たかりの対象としか見ていない」(1982年・昭和57年/伊藤宗一郎氏)

現在にも通じる、国民置いてけぼりの野党による政局争いも、すでに当時から見られました。
昭和56年1月に発足した鈴木善幸改造内閣で、伊藤宗一郎氏は防衛庁長官に就任しました。
閣議のたびに国民に防衛意識を強化することを訴え、国の防衛力増強路線を推し進めるよう、精力的に活動を続けます。

伊藤氏は就任から1年後の昭和57年5月6日、東京・大手町で開かれた「防衛懇話会」の総会で、「日本の防衛について」と題した講演を行いました。
そのなかで日米安保条約について触れ、「安保条約が日本の防衛に大きな役割を果たしている」と説明した上で、次のように話を続けます。

「安保条約によって経済が反映し、平和が保たれたが、その反面、国民が平和を当たり前のことと考え、自分の国を守るという意識が失われてきた。国民は国、内閣、政府などを行政主体として、甘え、ゆすり、たかりの対象としか見ていない。
(中略)
国民の防衛意識を高めるために、内閣全体が強い決意で取り組む必要がある。1億1700万人の国民をつなぎとめるのはなにか。防衛でなければならない」

全体の文脈は、昨今、現在の日本でも語られている「国民が平和ボケしている」「このままではいけない」という危機意識であることははっきりしています。
ただ、使った言葉が悪かった。
「国民をなんだと思っているんだ!」と、野党はいっせいに反発します。
ここぞとばかりに野党は攻勢に転じますが、野党のメンツを守るために生産性のない批判を繰り返すだけのドタバタ劇に国民はウンザリ。
結局、1週間後の本会議で、鈴木首相と伊藤氏が釈明と陳謝を繰り返し、野党も振り上げた拳を下ろして幕を閉じました。

「ヒロポンは学生時代によく飲んだ。気持ちいいし、能率が上がる」(1982年・昭和57年/世耕政隆氏)

2001年に廃止されるまで、自治大臣は国家公安委員長を兼務していました。
国家公安委員長は、全国の警察を管理・監督する立場。
その「自治大臣」がつい漏らした発言が、批判を集めました。

昭和57年9月2日、テレビ朝日が放映していた「あまから問答」(30分のトーク番組)の収録が行われました。
その日のゲストは世耕政隆氏。当時の自治大臣です。
「なくせ暴力団、覚せい剤、交通事故」をテーマに、ウシオ電機の牛尾治朗会長と対談形式での収録でした。

その中で、つい楽しくなってしまったのか、テンションが上ってしまったのか。世耕氏は次のような発言をして物議を醸しました。

「ヒロポン(※昭和26年まで発売されていた、覚せい剤の商品名のひとつ)は薬局で売っており、僕らの学生時代には試験の前などによく飲んでいた。気持ちがいいし、能率も上がります」

たしかに、世耕氏が飲んでいた当時、ヒロポンは違法ではなく、飲んでいたとしても何ら責められることはありません。
ただ、現職の自治大臣の発言となるとまた別。
「覚せい剤を容認すると捉えられかねない」として、テレビ局側はこのままでは放映できないと、再撮影を行って放映。この場面はカットされました。
しかし、覚せい剤を取り締まる最高責任者による発言ということでどこからか漏れ、各方面から強い批判を浴びることになりました。

批判を受け、世耕氏は記者会見を開き、「当時は市販されていたために有害とも知らずに眠気覚ましなどに使っていた。(中略)全体として覚せい剤追放の必要性を強調したのだが、一部分だけ取り上げると、覚せい剤を認めているかのような誤解を与えかねない点があったのは不注意だった」と陳謝。
事態は収束しています。

昨今では政治家の発言の「一部」をマスコミが取り上げ、その一部の言葉に反応した人々がSNSで拡散し大騒動となるといった事態が起こります。
特にWebメディアにおける「PV至上主義」の思想が火に油を注ぎ、「クリックされればなんでも良い」とばかりに、扇状的な見出しをつけ、批判を煽ることもしばしば。
報道を読み解く際には、マスコミに酔って恣意的に切り取られたその発言は「本当に言ったのか」、また「真意はどこにあるのか」など、しっかりと理解した上で判断したいところです。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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