生存権とは、誰もが人間らしく生きるための権利のことです。
司法試験や卒論においても重要なテーマでとなります。
しかし、これだけでは漠然としていて具体的なイメージがつきませんよね。
そこで今回は
- 憲法との関係
- 法律との関係
- 判例
などを提示しながら、具体的に生存権がどんなものであるかをご紹介致します。
1、生存権とは
生存権は、誰もが持っている人間的に生きるための権利です。
ワイマール憲法が制定された後にできた権利で、社会権のうちのひとつです。
社会権は国民が国に何らかの請求を行うための権利のことです。
そもそも憲法は国家が国民に干渉しないように作られました。
しかし、その後に市場経済が誕生し、貧富の拡大が問題となったため、経済弱者を救済するために生存権を含む社会権がつくられたのです。
ですから、もし生存権がなければ、強盗や殺人などが増えていたことも考えられます。
これは救済措置が全く無ければ、貧しさを暴力で解決するという方法しか残されていないからです。
しかし生存権は自立の支援が目的であり、国家への依存権ではありません。
日本では憲法の第25条が生存権を保障していると考えられています。
それを受けて、生活保護法や国民年金法などの社会福祉に関する具体的な法律が定められてきました。
まずは実際に憲法の条文を見てみましょう。
【引用】
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(出典 日本国憲法)
日本国憲法においては、国民の視点で見ると、健康かつ文化的な生活が最低限保証されていることが生存権の定義となっており、そのため国家は社会福祉ないし社会保障などの生活インフラを整える義務があります。
しかしながら、それらの具体的な基準が明記されていません。
憲法は性格上、目的というよりは理念に近いです。
したがって、抽象的に明文化されてしまうのは避けられません。
ですので、生存権の基準を知るには、専門家の議論や判例を参照するなど、歴史から学ぶのが賢明と言えるでしょう。
2、生存権をめぐる議論
まずはこれまで交わされてきた議論を参考に、生存権の性格を掴んでいきましょう。
憲法25条における生存権の法的性格に関する解釈は下記のように分けることができます。
(1)プログラム規定説
プログラム規定説とは、生存権はあくまでも国の責務にすぎないという意味です。
要するに、国家が国民に対して何らかの請求権を与えたのではなく、道徳的な義務を掲げただけという説となります。
つまり努力義務のある目標に過ぎないという考え方です。
ですから、プログラム規定説では、国民側は何らかの事柄に対して、憲法25条を根拠にして違憲を主張することはできず、「貧困で苦しいから国はそれを解決しなくてはならない」という主張の裁判を起こしても勝てる見込みは少ない、ということです。
具体的にどのくらい生存権の保障をするかは国の裁量に委ねられます。
以下の関連記事ではより詳しくプログラム規定説をご紹介しています。
プログラム規定説とは?統治行為論との違いや3つの判例を簡単解説
(2)法的権利性
法的権利性とは、定められた法律によって国民が何らかの保障を受ける資格があること、もしくはその性質のことをいいます。そのため、以下2つの解釈は、
「憲法25条を根拠にして権利を主張できる」か、
「憲法25条を根拠にした権利の主張はできないが、憲法25条を前提とした法律からは権利の主張ができる」というものです。
プログラム規定説とは相反する解釈ですね。
①具体的権利説
具体的権利説とは、具体的な法律に基づくことなく(25条をそのまま根拠に国に権利を主張できる)、国に請求ができるとする考え方です。
国民は憲法25条を根拠にして国家の不作為(必要な措置をとっていない)に対して直接、訴えることが可能だとしています。といっても漠然と「貧困だから補助してほしい」と主張できるわけではありません。
『国家の不作為』に対して訴えるわけですから、あるべき法律が制定されていない場合に「早く立法措置をすべき」と主張する権利があるという意味です。
②抽象的権利説
抽象的権利説とは、反対に、国民が個人として生存権の効力を実現させるためには、憲法25条に基づいた他の法律による具体化を不可欠(憲法25条に基づいた具体的法律がなければ国に権利を主張できない)とする説です。
例えば、シングルマザーが補助金を受給したい場合、それに関する法律が制定されてからでないと真っ当な権利にならないということになります。
3、生存権と生活保護
生存権は人間らしく生きるための権利で、誰もが持っているものでした。
これに基づいてできた制度が生活保護制度です。
生活保護制度とは、その人の資本(資産や能力など)を用いても生活を続けることが困難な場合、国や自治体が補助金を給付し、自立を支援するシステムをいいます。
具体的には収入が低すぎる、子供を養えない、などの場合が対象となります。
生活保護制度は生活保護法に則って適用され、この生活保護法の根拠は憲法25条の生存権になっています。
このように国は生存権を保障するために法整備を行うことが義務になっています。
4、生存権に関わる判例
次に判例を見ていきましょう。
判例は過去に裁判所が示した判決のことです。
(1)食糧管理法違反
食糧管理法違反(事件)は、正規ルート以外で米を調達し、食糧管理法に違反として起訴された被告人が起こした事件です。
同被告人は、販売されている米だけでは生活ができないとし、自身の行いは生存権の行使にすぎないと主張しました。
それを処罰するなら食品管理法は違憲だと同氏は述べましたが、最高裁判所はどのような判決を降したのでしょうか。
結論から述べると、最高裁はプログラム規定説を採用しました。
つまり日本国憲法25条は国政の運営を国の責務として宣言したにすぎず、国民に直接的あるいは具体的な義務を保証したわけではないとしています。
(2)朝日訴訟
次に、朝日訴訟は重度の肺結核患者だった朝日茂さんが起こした訴訟です。
同氏は長年にわたって入院をしていたため、生活保護を受けていました。
しかしその後、実兄からの仕送りをしてもらうことになったため、福祉事務所は仕送りされた金額から一部を控除した額を朝日さん本人に負担させました。
朝日さんはこの変更保護処分を不服とし、訴訟を提起しました。
第一審では違法判決が出ました。
「健康で文化的な生活水準」を維持する保護に欠けるため憲法第25条に反するという結論です。
しかし、控訴審では、この件の生活保護の水準はかなり低いが違法とまでは言えないという理由で判決が取り消されました。
朝日さんは上告しましたが、その後死亡したため、最高裁は訴訟を終了させました。
生活保護を受給する権利は引き継げないためです。
ですが最高裁は、本件の是非を意見として述べています。
第一に「憲法25条の1項が国の責務を宣言しただけ」とプログラム規定説を採用しており、その上で「健康や文化的、最低限度の生活などの基準は厚生大臣(当時)の裁量に依存するため、逸脱と濫用がある場合を除いては違法にはならない」と述べています。
仮に大臣側に問題があれば、国民はその旨を訴えることができるため、この判決において採用されたのは完全なプログラム規定説とは言えません。
(3)堀木訴訟
続いて、堀木訴訟はある家庭の母が、公的手当の併給の禁止に対して訴えたものです。
同氏は全盲の視力障害をもっていたため、国民年金法に基づき障害福祉年金を受給していました。
加えて母子家庭だったため、児童扶養手当の受給を申請しましたが、県知事はそれを却下しました。
却下の理由は上記2つの併給は禁止されているからですが、夫がいる場合は併給ができるため、これを不合理な差別として訴えを提起しました。
こちらの判決もプログラム規定説が採用された判決です。
第一に「健康で文化的な最低限度の生活」は立法によって具体化する必要があるため、その措置の裁量は立法府に依存しているということです。
立法府には大きな裁量があるので、法的手続きによって定められた法に対して差別とすることは難しいという旨の判決を出しています。
加えて、併給禁止規定の合理性や各法制度を総合的に考慮しても、児童手当ないし障害年金の受給に差が生じた場合、それが不当なものとはいえないと述べました。
(4)永住外国人生活保護訴訟
最後は外国人の生活保護の問題です。
日本の永住資格を持つ中国人の女性が生活保護申請の却下した大分県の処分は違法だとした訴訟が、いわゆる永住外国人生活保護訴訟です。
最高裁は外国人に生活保護は適用されないとの判決を下しました。
生活保護法では、受給対象を国民のみとしている一方、各自治体は永住外国人に生活費(生活保護法に基づくものではない)を給付する裁量を持っており、問題はないとされています。
要するに事実上、在日外国人は生活保護に準じた保護の対象となっています。
まとめ
生存権は誰もが人間らしく生きるための権利のことで、基本的人権の最たるものです。
日本においては、生存権を保障しているのが憲法第25条で、それに基づいてできたのが生活保護法や国民年金法などといった法律です。
憲法の解釈はいくつかありますが、生存権は抽象的な概念であり、大きな裁量を持っているのは立法側になります。
そのため裁判所は訴えに対して違憲判決を出すことは滅多にありません。
単純なようで奥が深いのが生存権の特徴です。
学べば学ぶほど面白いので、是非いろいろな判例をチェックしてみてくださいね。