日本は超高齢化社会を迎え、先端的なヘルスケアのニーズが集積する世界でも稀に見る状況を迎えています。
2024年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」には、新たなステージに向けた経済財政政策の一つとして、医療介護分野のヘルスケアスタートアップの振興・支援の強力な推進が挙げられ、そのための議論が活発化しています。その一つが、厚生労働省で2024年2月に立ち上がった「ヘルスケアスタートアップ等の振興・支援策検討プロジェクトチーム(通称:ヘルスタPT)」。今回は、PTの中で「医療機器・SaMD」タスクフォースを率いる大阪大学 八木雅和准教授(ジャパンバイオデザイン プログラムディレクター)に、タスクフォースでの議論のポイントや今後の展望をお伺いしました。
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(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 井出光)
(取材日:2024年5月24日)
八木雅和(やぎ まさかず) 氏 大阪大学 大学院医学系研究科保健学専攻・寄附講座准教授 |
今こそヘルスケアスタートアップ支援拡大のとき
ー現在の日本のヘルスケア産業、その中でもご担当されている医療機器・SaMD分野のスタートアップ市場をどのように見られていますか。
今こそ、力を入れて支援を拡充しなければならないと考えています。
少子高齢化が進む日本において、医療費は毎年増加して2022年には46兆円に達しており、現行の医療保険制度を維持するのが年々難しくなりつつある状況です。さらに、医療現場では、人的リソースの偏在・不足などの課題もあります。
このような状況の中で、現場の問題を解決して高品質で効率的な医療を実現するスタートアップによるイノベーションへの期待は大きいと認識しています。
また、医療機器には「治療用」と「診断用」があり、特に侵襲性が高い治療用機器については海外製品への依存度が高く、医療機器貿易赤字の約87%(2018年)を占めています。すなわち感染症の流行などにより、海外からモノが入ってこない状況になると、国内の需要に対して十分な供給を満たせなくなるリスクを抱えています。しかし、国内で革新的な技術に基づく治療用医療機器を開発する場合、開発リスクが大きく大企業による挑戦が難しくなる場合が多いです。そのため、医療機器スタートアップに対する期待はますます大きくなっています。実際のところ、ヘルスケア産業は他分野に比べて研究開発に対する投資額が大きい分野となっています。
一方で、本分野は、他の産業と比較すると、顧客への持続的な製品(価値)提供を実現するまでに規制や保険対応等の対応が必要で、より多くのコストや時間がかかるという特殊性があります。その中で提供しようとしている価値とコスト(価格)をしっかりバランスさせることができるか?という点がとても重要で、難しい点となります。
例えば、開発者が「こういうものが役に立つはず」と思って作ったものが、現場で必要とされない、もしくは、ごく限られた現場でしか採用されない、という事例をこれまで何度も見てきました。「本当に現場で求められているのか?」「提供する価値は価格に対して適切か?」といった観点がとても重要であると思います。実際のところ、研究開発に対する投資が行われている一方で、事業化に向けたスタートアップの設立数は増加しておらず、むしろ減少傾向となっています。
このような状況だからこそ「ニーズを見つけて新しい技術や会社を作って終わり」ではなく、その先の国内外での社会実装まで仕組み化し、新たな価値をサステイナブルに医療現場に届け続けるための動きが必要であると強く感じています。
ー行政としてはどういう支援ができるのでしょうか。
医療現場の問題を解決可能な高品質で効率的な医療機器の開発・事業化を加速させる必要があります。そのためには、開発・事業化の各フェーズにおいて、多様な有識者の視点で多面的に現状の課題・障壁を洗い出し、優先順位をつけて整理して、大局的な視点で政策としてどのような支援を実現すべきかを検討する必要があると思います。
例えば、SaMD(Software as Medical Device の頭文字を取った略)は、AIなどの新しいデジタル技術を利活用して診断や治療を支援するソフトウェアなのですが、その新しい技術特性や事業化スキームによっては、現状の規制では想定されていない部分が出てくる可能性があります。そのような場合には、実情に合わせてアップデートを検討する必要があるかもしれません。一方で、医療機器は患者さんを対象に使用されるものなので、有効性、安全性などの品質を十分に保つ必要があります。そのため、規制緩和を行うのであれば、同時に品質担保も考慮しながら慎重に検討する必要があります。
また、希少疾患や子ども向けの医療機器のように、市場サイズが小さかったりリスクがとても高かったりするために、なかなか企業が開発に乗り出しづらくなっている分野もあります。このような分野についても戦略的に支援するなど、イノベーションが発生しやすい環境を整備することも必要だと思います。
だからこそ今回私が携わっている「ヘルスタPT」のような、医療現場や本分野の開発・事業化に関わる様々なステークホルダーが入ってフラットに議論することができる行政の場はとても有益であると考えています。「ヘルスタPT」では「ヘルスタ・アイデア・ボックス!」を開設し、プロジェクトメンバーのみならず、国民からも広く課題や政策提案を募集いたしました。鋭い意見も数多く頂き、新たな議論が生まれるきっかけになりました。
「ヘルスタPT」中間提言のポイント
ー2024年2月にPTが立ち上がり、4月25日には中間提言を公表しました。「ヘルスタPT」における議論にはどのような特徴がありますか。
「ヘルスタPT」では、ヘルスケアスタートアップの振興を通じて、国民への医療・健康・介護の提供を持続的なものにすることと、ヘルスケア産業をグローバルな競争力を備えた成長産業にすることを目標に掲げて議論を重ねてきました。ヘルスケアスタートアップを振興するためには、ヘルスケア市場の構造と特性を見極めた戦略的な政策・投資が必要ですが、このような議論がさまざまな関係省庁、関係者を巻き込んで連携しながら行われている点はとても画期的であると思います。
分野に特化した課題を検討するために、「バイオ・再生」、「医療機器・SaMD」、「医療DX・AI」、「介護テック」の4つのタスクフォースに分かれて、タスクフォースごとでの議論も行われています。
そして、医療機器・SaMDタスクフォースでは、開発支援のみならず、マーケットインした医療機器を世界中のたくさんの患者さんに届ける仕組みまでを考慮し、結果的として大きな収益があがってスタートアップの出口につながるような道筋までを作り込むための議論を進めています。
ー3ヶ月弱で中間提言がまとまり、非常にスピーディーな議論との印象を受けました。
議論の速度を速める上では、プロジェクトリーダーである塩崎厚生労働大臣政務官の強力なリーダーシップのもと、座長である本荘先生を中心として、国内外の有識者から得られたご意見や調査結果をもとに、一団となってアツく議論を進めることができたことが大きかったのではないかと思います。そして、各分野でご活躍されておられる委員や副査の方々による手厚いサポート、関係各省の方々の温かいご協力・ご支援なしにはできなかったと思います。
特に、私自身についてはこのようなプロジェクトの経験があまりなかったため、日々、より良い形にするにはどうすればよいかを考え、試行錯誤しながら進めました。具体的には、自分自身のバイアスがないかを常に内省しながら、スタートアップ、民間企業、アカデミア、医療機関、関係省庁など多様な立場の方々から丁寧にご意見をお伺いするように意識しました。そして、頂いたご意見をもとに自分自身も勉強しながら事実確認したり、他の立場の方々のお考えをお伺いして、何が本質的な問題なのかを可能な限り深掘りしました。さらに、ライフサイエンスのイノベーションを頑張っている・頑張ろうとしている方々が本質的なところに集中して効率的に推進できるようにするにはどうすればよいか、具体的な打ち手を検討するプロセスは悪戦苦闘の連続でもありました。
ー中間提言のポイントは。
もちろん、基本的にはすべて…なのですが、敢えて1つ挙げるとすれば、いわゆるアンメット・メディカル・ニーズ(既存治療技術への医療満足度が著しく低い状態)に基づいた革新的な治療用機器開発(ハイリスク・ハイリターン)に対する資金支援とその開発に協力する医療機関を支援するという内容です。
米・シリコンバレーをはじめとする諸外国での充実した環境を見て、特に治療用医療機器の開発環境を整備する必要性を強く感じていたので、支援を明示できたことは一つの成果であると考えています。
ー議論を通じて、今後に積み残された課題や、新たな発見はありましたか。
もちろん、限られた時間で進めているので、抜け漏れなく課題を洗い出して検討、すべての課題が解決できる打ち手を提示できているとは考えておりません。現状での暫定版であり、皆様から更なるフィードバックを頂いたり、今後進めていく中でアップデートされるべきものであると考えています。
気づきとしては、課題設定の難しさでしょうか。正直なところ、いろいろなお立場の方々のご意見をお伺いすると、すべて対処すべき問題のように思えてきます。しかし、そこにとどまらずに、他の立場の視点で捉えなおすことで、問題が影響を及ぼす範囲がとても限定的であることが明らかとなったり、別の方が提示された問題と本質的には同じであることに気づいて統合したりする等ありましたので、問題の深掘り作業の重要性を感じました。そして、本プロジェクトの目標に照らし合わせて優先順位をつけて問題を選択し、その問題を適切に解決するために、可能な限り公正な視点で課題を設定する難しさを痛感しました。
また、本分野において最も大切なことは、「患者さんのために」という大きな方向軸なのではないかと再確認しました。その観点では、日本企業は素晴らしい技術を持ちながら、一方で患者さんにとって何が問題ないのか、を定義する点に弱さを感じます。何が問題なのかをしっかり定義する力を養っていかなければ、世界の人々に普遍的に受け入れられる製品開発を行うことは難しいのではないかと考えています。
提言とりまとめに向けて:あらゆる立場の人の意見や思いがよりよい政策へ
ー6月のヘルスタPTの提言のとりまとめに向けて、どのような道筋を考えていますか。
基本的な方向性については、中間提言から大きくブレることはないと思います。今後やるべきこととしては、製品開発から社会実装までのプロセスについて、更に詳細な確認、検討が必要であると考えております。そして、それぞれの課題に関する解像度を高め、優先順位をつけて実現可能性や時期も考慮しながら選択し、具体的に行うべきアクションの粒度を上げていくことが重要です。いつまでにどのような状態を目指すのかを定義し、そこから逆算したアクションプランに落とし込む。「提言して終わり」ではなく、その先を見据えた議論にするべく、それぞれの論点を精査しています。
ーチャレンジングな議論に有識者として携わるモチベーションを教えてください。
私自身は、日本におけるメドテック分野のエコシステム構築に貢献するために、ニーズ発メドテックイノベーション人材の育成(バイオデザインプログラム)、および、プログラム発プロジェクトの事業化支援の現場に携わっています。その知見が政策作りに少しでもお役に立てばとの思いで「ヘルスタPT」の議論に参画しています。
そして、より良い医療を世界中の患者さんに提供するためにリスクを取って一生懸命頑張っておられるイノベーターの方々が、過度にリスクを取る必要がなく、正しいことを正しいやり方でやれる環境を実現したいと考えています。このような想いを抱いて、よりよい日本を作ろうと集まったあらゆる立場の人の意見や思いが、よい政策につながればいいなと願いながら「ヘルスタPT」での議論と向き合っています。