県内総生産とは都道府県の「GDP」
県内総生産とは、国のGDP(国内総生産)に相当するものです。
各都道府県内で行われた生産活動によって、新たに生み出された価値の総額を表しています。産出額(売上高や出荷額など)から中間投入(原材料費や光熱水費など)を差し引いて求められます。
昭和50年度(1975年)から平成29年度(2017年)まで、約40年間の全国の県内総生産増加率を見てみると、昭和51年度(1976年)から平成2年度(1990年)まで順調に成長していくものの、平成3年度(1991年)に急激に落ち込んでいることがわかります。
なかでも、平成9年度(1997年)から平成21年度(2009年)までの停滞は著しく、前年比の増加率がマイナスに陥っている年も現れています。
40年間で埼玉県が急成長
昭和50年度から平成29年度までの約40年間で、日本国内で発展している経済都市の上位に変化は見られるのか。
両年の県民総生産上位10都市を見てみると、順位にばらつきはあるものの、顔ぶれに変化は見られません。
東京都、愛知県、大阪府、神奈川県の4都市は、約40年にわたって日本でもっとも多くの「価値」を生み出していると言えそうです。
なかでも、東京都の「一人勝ち」は圧倒的で、平成29年度には日本全国の約20%のGDPを東京都一都で上げています(同年の日本のGDPは約561兆円)。
他には、この約40年で東京都のベッドタウンとして発展を遂げた、埼玉県と千葉県が急伸。昭和50年度には8位だった埼玉県は平成29年度に5位、同じく9位だった千葉県は7位に順位を上げています。
成長割合で見てみても、埼玉県は約4.8倍、千葉県は4.6倍と全国平均の3.7倍を上回る数値となっています。
約5倍の経済成長を遂げた滋賀県
昭和50年から平成29年までの約40年間で、日本は大きな経済成長を遂げました。都道府県別に、この両年を比較してどれほど成長しているのか、その成長率を見てみましょう。
1位は滋賀県。約5倍の成長を遂げています。
昭和30年代後半に名神高速道路、東海道新幹線が開通して以降、急速に
工業化が進み、昭和40年代には人口も急増。古くから交通の要衝として知られる土地の優位性もあり、全国有数の工業県となったことが成長の理由と考えられています。
東京都という日本最大の経済都市を持つ関東各県も大きな成長を遂げています。
埼玉県の483%を筆頭に、千葉県の457%、群馬県の445%、神奈川県の414%と、軒並み4倍以上の成長率となっています。
戦後、長く占領され、昭和47年(1972年)にアメリカから日本に返還された沖縄県は4位にランクする急成長を見せました。
昭和後期から美しい自然を堪能できる観光地として、国内外から観光客が集まる国内有数のリゾート地となった沖縄県は、平成23年には人口増減率で全国1位(+0.59%)となるなど、国内の移住先としても人気を集めています。
もっとも熱かったのは「西日本」の「昭和55年まで」
過去40年間で、前年と比較してもっとも急激に経済成長を遂げたのは「いつ」の「どこ」だったのか。トップ10を見てみましょう。
1位は昭和55年度の茨城県。前年比119.7%の成長率となっています。
昭和55年(1980年)には、昭和60年に開催が決定していた「国際科学技術博覧会」(通称:つくば万博)の会場が茨城県筑波郡(現在のつくば市)に決まり、大いに賑わいました。
大阪府、京都府とともに一大関西経済圏を形作っている兵庫県は、昭和51年度に大きな経済成長を遂げています(前年比118%)。
昭和47年に新大阪〜岡山間で開業した山陽新幹線が、昭和50年には岡山〜博多まで延長。さらには中国道が兵庫県内全線で開通するなど、交通網がより至便になり、経済が活性化した時期と重なっています。
ほか、トップ10入りしている県を見てみると、茨城県、栃木県、群馬県を除いた8県が西日本の地域で占められています。
また、大きく成長した時期は昭和51年度(1975年)から昭和52年度(1976年)に集中していることもわかります。
このことは、全国の平均増加率を見るとより顕著に現れます。
年度別に全国の対前年比の県内総生産増加率を見てみると、昭和51年度、昭和52年度が1位・2位と並びます。
このころ日本は、昭和48年(1973年)のオイルショックから続いた戦後最大の不況を脱し、急激に経済が成長しています。
以後、約20年にわたって大きな発展を遂げ、日本は世界第2位の経済大国へと成長していくことになります。
平成元年度(1989年)、平成2年度(1990年)と、平成期も2年間トップ10にランクインしています。
1980年代に我が世の春を謳歌したいわゆるバブル経済は1991年3月に崩壊。以後、長く続く不景気が令和の時代に至るまで続いていきます。