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政治ドットコムトピックス第1回衆議院議員議員選挙における当選者の納税額ランキング(後編)

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第1回衆議院議員議員選挙における当選者の納税額ランキング(後編)

投稿日2020.12.2
最終更新日2020.12.03

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1890年(明治23)年に行われた第1回衆議院議員総選挙では、立候補するためには「直接国税15円以上」が義務付けられていました。
全当選者の平均納税額は126.9円。これは、現在の貨幣価値に直すと、およそ48万円に相当します。
では、もっとも多額の納税をしていたの地域はどこなのか、一方、一番納税額を抑えていた地域はどこなのか、調べてみました。


トップと最下位では550円もの差

前編に引き続き、第1回衆議院議員議員総選挙における納税額について見てみましょう。
まずは地域別ですが、当時は北海道と沖縄、小笠原諸島では選挙が行われず、45都県がその対象となっています。

平均納税額がもっとも高い県は島根県の572.4円、これは現在の貨幣価値に換算すると約218万円となります。
当時、島根県の定数は7。7人の当選者のうち、岡崎運兵衛氏と佐々田懋氏がそれぞれ1666.2円、1470.6円と多額の納税をしていることから、平均額が上がっています。

岡崎運兵衛氏は、現在の島根県出雲市に豪農の息子として生まれます。江戸の昌平坂学問所で学んだのち帰郷、1867(慶応3)年に18歳で家督を継承し、運兵衛を襲名します。
明治維新後は自由民権運動に加わり自由党に入党。松江町会議員、松江市会議員、同議長、島根県会議員、同副議長、同議長と、地方政治に熱心に取り組み、迎えた1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に島根県第一区から出馬して当選を果たします。その後、衆議院議員を通算7期務め、在任中に亡くなりました。
衆議院議員として国政に携わる一方で、「松江新聞」の創刊に参画したり、「松江日報」を創刊したりと、地域の文化興隆にも尽力しています。
また、1880年に生活困窮者の救済のために恵愛社が設立されると社長に就任。社会事業、公益事業に多額の寄付を行ったことでも知られています。

佐々田懋氏は、現在の島根県浜田市の豪農の家に生まれます。
この佐々田家は、戦国大名である尼子義久の子の佐々田宗久が、尼子氏の先祖である「佐々木氏」と妻の実家の名である「田中氏」の名を取って創始したと伝えられています。
佐々田氏は、浜田県会議員、那賀郡会議員、島根県会議員・同議長を歴任、地方政治を学んだ後に第1回衆議院議員総選挙に島根県第5区から出馬します。
30歳で初当選すると、その後、3期連続して衆議院議員として務めを果たし、1911年には「貴族院多額納税者議員」(多額の直接国税を納める30歳以上の者の中から互選される)に選ばれ、1918年まで務めています。
議員を辞してからは、佐々田合名会社を立ち上げて社長となり、地域経済発展のために尽力しました。

一方、当時もっとも平均納税額が低かった地域はどこなのか。それは佐賀県でした。
平均納税額は24.5円、トップの島根県と比較するとその差は約550円にも上ります。
佐賀県といえば肥前国。薩長土肥の一角を担った地域です。
明治維新から23年経っていても、まだ武士の風土は色濃く残っていたのでしょうか、定数4の当選者の全員が「士族」出身者でした。
この当選者の中には、当時、容姿端麗で貴族然とした風貌から「紅木屋侯爵」とあだ名された武富時敏氏も含まれています(納税額は21.2円)。
武富氏は、佐賀藩士・武富良橘の長男として生まれ、明治維新後は佐賀の乱にも参加。鎮圧されますが、首謀者ではなかったとして無罪放免となっています。
その後、佐賀県議会議員を経て衆議院議員となり、第2回選挙では落選するも第3回からは連続12回答線を果たし、長く国政の場で活躍を続けます。
1921(大正10)年に発行された「大日本人物名鑑」では、「財政に通ず。態度荘重、本邦政治界の権威たり」と評されています。

いずれにしろ、当時の士族はそれほど多額の資産がなかったのか、それとも節税術に長けていたのか、気になるところです。

1890(明治23)年に刊行された「帝国議会代議士名鑑」(石川震東著)の記述を元に、政党別の当選者の納税額も調べてみました。
トップは大成会の221.1円、改進党と立憲自由党はそれぞれ93.3円、83.8円となりました。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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