対話型AI「ChatGPT」をはじめとするAIの進化が著しい現代において、テクノロジーへの理解はますます重視されるようになってきています。
今回は全世代向けにテクノロジー教育を提供している、ライフイズテック株式会社 の讃井康智さんに、ライフイズテックが目指す教育のあり方、それを実現するためのルールメイキングへの姿勢についてお伺いしました。
讃井 康智 取締役 CEAIO(最高AI教育責任者)1983年、福岡市生まれ。 東京大学教育学部卒業後、株式会社リンクアンドモチベーションに勤務。 その後独立し、東京大学大学院 教育学研究科に進学し、故三宅なほみ教授に師事。 各地で創造的で協調的な21世紀型の学びを実現するサポートを行う。 |
1、「中高生が誰でも気軽にプログラミングを学べる社会を作りたい」とライフイズテックを創業
ー創業のきっかけは?
私には原体験があります。高校生の時にゲームやメディアアートを作りたいと考えていたのですが、当時住んでいた福岡にはそのようなテクノロジーを学べる環境はなく、自分の夢を諦めざるを得ませんでした。
その後、IT企業や大学院など教育領域のさまざまな立場でキャリアを積み重ねてきました。その中で、後に共同創業者となる水野から「小中高生がプログラミングを学べる場所を作りたい」との話を受けた時、私自身が味わった悔しい思いを未来の子どもたちには感じてほしくないと考え、創業するに至りました。
2、一人一人の可能性を最大限伸ばす教育を受けられる社会を
ーミッションを通じてどのような社会を目指していますか?
ライフイズテックのミッションは「中高生の可能性を一人でも多く、最大限伸ばす」ことにあります。これは創業時からブレずに掲げてきた目標です。
今の教育システムは変化の激しい時代に十分対応しきれていないのではないかと、私たちは考えています。そこで今を生きる子どもたちの可能性を最大限伸ばせるよう、さまざまなサービスを提供しています。
サービスは、大まかに個人向けと法人向けの二つに分かれています。個人向けは、習い事としてのプログラミングスクール/プログラミングキャンプ事業です。通塾形式または短期集中形式のキャンプを通じてアプリケーションのリリースまで学習できるプログラムを提供しています。
法人向けとしては、学校や教育委員会、塾向けに「ライフイズテック レッスン」と呼ばれるプロダクトを提供しています。これはプログラミング教育を行う先生方をサポートする教材です。
2021年に中学校でプログラミング学習領域が拡大され、2022年に高校で「情報Ⅰ」が必履修化された流れを受け、情報・プログラミング分野における学習環境と指導体制の充実が求められています。
しかし、残念ながらプログラミング教育を行える先生方は限られ、環境整備が十分に図られているとは言えない状況です。現在の中学校や高校ではPythonやJavaScriptを扱う本格的な授業を行う学校もあるなど、先生方にとって難題が突き付けられています。ライフイズテックレッスンはプログラミング教育に対する需要と供給のギャップを埋めることを目指しています。
また、社会人・企業向けのDX研修事業も拡大しています。企業内でDXを進めようとしても理解のある層とない層ではDXに対する意識やスキルのギャップが大きく、DX推進のハードルが高いままといったケースが多くあります。
そこで「自分の業務の中から、デジタルの力で解決可能な課題を発見し、ITツールを活用して解決する」という本来求められるスキルを身につけることができるプログラムを開発し提供しています。
学校だけではなく塾や企業におけるあらゆる教育機会を支えることで、地域や境遇を問わず、すべての子どもたちが等しくテクノロジー教育を受け、評価されるような情報教育のインフラを提供しています。
ーあらゆる立場の人がテクノロジーについて学ぶ必要が出てきそうですね。
そうです。私たちが2025年に「イノベーション人材」を年間120万人育てることをビジョンに置くのも、テクノロジーを活用し課題解決をすることがあらゆる場面で求められる時代だと考えているからです。
ちなみに私たちが定義する「イノベーション人材」は次のような特徴を持ちます。
- 自分自身で課題を設定できること
- テクノロジーを活用できること
- 課題解決のために自らアクションを起こすことができること
これからの時代はこの三要素がどの世代にも必ず必要な素養になるはずです。だからこそ私たちは「どこでもいつでもイノベーション人材になるための教育が受けられる社会」を作っていきたいと思っています。
「ライフイズテックで学ばなければイノベーション人材になれない」ではなく「ライフイズテックがなくてもイノベーション人材になれる教育を受けられる社会」が理想です。
ーこれからの教育界はテクノロジーによって激変するとも言われます。ビジョンを実現するためにどのような発想が必要でしょうか?
おっしゃる通り、これからの時代、教育に携わる者にとってテクノロジーとの付き合い方について正面から考えることは避けられないでしょう。
すでに「ChatGPT」をはじめとする生成AIの登場は教育界にも非常に大きな影響を与えつつあります。問いの設計やファシリテーション、コーチングなど従来では「人間の領域」と見られていた分野にも対応し始めている点が革新的です。
だからこそ「教育に関わる者にとって大切なことは何か」を真剣に考えなければなりません。重要な論点は以下の3つです。
1点目は教育者によるテクノロジーへの理解。
これからの時代、テクノロジーへの理解がなければ、教育によって目指すべきゴールを間違える可能性が高まります。適切な教育目的を設定した上で、その目的に合ったテクノロジーやツールを選択しなければならない場面が増えるでしょう。出発点であるテクノロジーへの理解が不足していると、教育のプロセス全体の設計を失敗してしまう可能性があります。
だからこそ、2点目として教員の学習デザイン力も重要です。
学習の目的を適切にデザインし、それにあったテクノロジー体験をプロセスに埋め込んでいこうとする姿勢が求められるはずです。
たとえば、子どもたちが怖がらず楽しくAIを体験するためには「ChatGPT」よりも画像生成AI「Stable Diffusion」のほうが良い、といった発想や判断ができる力が教育者に必要です。
3点目は子どもたちを観察する力です。
サーバー上で動いている人工知能は子どもたちのことを実際に見ることはできません。一方、学校の先生は子どもたちの顔色やちょっとした所作を通じて子どもたちの感情や感覚を理解することができます。現場にいるからこそできることがあるわけです。
以上の3点を中心に、教育者の果たす役割について発想の転換が必要です。
3、パブリックマインドを持って政治・行政と協働したい
ー激変する世界に対して教育界も柔軟に対応する必要がありそうですね。ミッションに向かう中で課題に感じていることは?
創業から現在まで一企業としてやれることを相当やってきた自負があります。ただミッションにより近づいていくためには、社会の空気そのものを変えなければならないと感じます。
教育委員会や教員の方とお話ししていても、プログラミング教育の重要性や課題感については、おおむね同意いただけます。
一方、いざ実施しようとなると「受験のほうが優先度高いよ」とか「文部科学省もそれほど予算をつけていないから実はそんなに重要ではないんじゃないか」、「保護者からもプログラミング教育やってほしいって声がないんだよね」といった声にしばしば接します。
社会のテクノロジー教育に対する目線を根本から変えるためにも、政策を動かすことは重要なアプローチであると認識しています。その上で自治体の首長さんや教育委員会、学校の校長先生など現場のリーダーたちに強い意志を持っていただけるかが勝負です。
だからこそサービスの開発・提供を通じたテクノロジー教育の普及と政治・行政への政策提言を同時並行で行う必要があると考えています。
ただ政策に働きかけようと思い立った時は非常に困りました。どこに向かってどのように走り始めたほうがよいかがわからない状態だったので。
その時にPoliPoliさんに政策づくりの場面で解像度高くアドバイスいただけることはとてもありがたく思いました。具体的なアドバイスをいただくことで私たちの振る舞いや提案の仕方もブラッシュアップされ、実際に政治・行政に届けたい言葉が齟齬なくよい形で受け取っていただいている実感があります。
政府の政策に対して何かしら不満や要望がある際にツイッターでつぶやくだけでは進むものも進まなくなると感じます。
政府の中にいる人たちも「政策を前に進めたい」と思っているはず。外部からの批判が政策づくりの現場で奮闘する人たちの心をくじいてしまう可能性すらあります。
官民が協力してルールメイキングを効率よく進めるには、実際の政策づくりがどのように進んでおり、具体的にどのような関わり方をすればよいのかを理解する必要があります。PoliPoliさんのサポートは私たちの大きな力になっています。
ー現在、次期教育振興基本計画の制定が進むなど教育政策にも重要な動きがあります。どのような評価をされていますか?
現在制定が進む次期教育振興基本計画には個別最適な学びや探究学習、STEAM教育など非常に魅力的なコンセプトが盛り込まれており、非常に大きな期待感があります。
これからの時代に求められる能力を養う教育コンセプトが視野に入った計画になっているという印象です。
一方、プログラミング教育をはじめとするテクノロジー教育の内容については欠ける部分も大きいと感じます。
たとえば、現在の計画案ではGIGAスクール構想で配布された電子端末の利用率上昇が必要とする旨が記述されています。
しかし、現在はデバイスの利用率をあげるだけでは目標として不十分だと感じます。今後はプログラミングや生成AIなどのテクノロジーをいかに教育現場で取り扱うかが重要な論点になるはずです。
教育現場でいかにテクノロジーの活用に関して、実社会の動向やスピード感を踏まえた改善がなされるか期待しています。
ーそれを踏まえ、これからの教育政策はどのように立案・実行されていくべきでしょうか?
政策や法律は本来的に、時代に応じて変更されていくべきものと考えています。
教育政策の方針を立案する前提には社会に対する正確な認識が不可欠です。社会に対する認識が古いまま教育方針を立てれば、10年単位で誤った時代遅れの教育方針が続いてしまうことになる。
目的も手立ても間違っている教育を10年続ければ、私たちが暮らす社会の基盤すら危うくなる深刻な問題です。だからこそ教育政策を作っていく過程では、テクノロジーの進歩や社会変化を5-10年の単位で思考する必要があると考えています。
だからこそコレクティブインパクト*を作っていく姿勢を持ち続けたいです。これからの政策づくりや政策の実行には、産官学がそれぞれの立場を超えて価値を共創する動きが必須になるだろうと感じます。
*コレクティブインパクト(Collective Impact)は「集合的インパクト(影響)」または「集合的な成果」と訳される言葉です。 企業・行政・NPO・自治体などから集まったメンバーが、社会課題の解決のために知識や技術を持ち寄り、協力することを指します。
たとえば、現在文部科学省は「免許を持っている教員を十分な人数を配置する」ことをビジョンに掲げています。
一方、現場では免許を持っているだけでは十分な教育ができないという課題に直面しています。免許を持っているかどうかよりも実際に教えられる力がある先生を十分配置できているかどうかが本質的な問題だからです。
このように実際に現場で課題に向き合う民間事業者しか届けられない視点は数多くあります。
ー民間事業者だからこそ政策の立案や実施のプロセスの中で果たせる役割があるんですね。
そうです。政策の立案過程で必要な視点を提言することも重要ですが、民間事業者が政策の実施プロセスへより積極的に絡んでいく姿勢も必要です。
見過ごされがちですが、そもそも政策は、それ自体がいかに実施されるかも重要です。せっかく予算を確保し制度を作っても必要な人に届かなければ意味がありません。
たとえば、現在は「リスキリング」が政策テーマとして非常に大きな位置を占めています。実際、政府はリスキリングを支援する助成金として何百億円単位で予算を確保しています。しかし実際に企業がリスキリング関連の助成金を活用するフェーズには多くの課題があります。
以下のような課題があります。
- 「助成金が使いづらい」
- 「助成金がそもそも知られていない」
- 「助成金の中で教育効果を高めていく方法を企業と協議してやっていくと、助成金の対象から外れてしまう」
現場と制度の距離を埋めて政策の効果を最大化させるためには、誰かが現場に政策を届けなければなりません。民間事業者は政策が執行される場面でも果たせる役割があるんですね。
サービス提供を通じて把握している現場の課題を政府へフィードバックしたり、現場の課題感にそぐわない部分に焦点を当て、政策の修正を提案したりすることができます。
政府に対して現場の生の情報を提供したり、逆に政府の動きを現場に伝えたりして政策目標を実現できるよう協働する時代にしていきたいですね。
4、すべての人がよりよい教育を受けられる社会を
ールールメイキングなど政治・行政との協働を通じて、どのような社会を目指していきたいですか?
現在はプログラミング教育中心でありますが、ゆくゆくはスコープを広げ、すべての人に十分な教育機会が提供されるための政策提言を行なっていきたいと考えています。
中高生に限らず社会人も含めてこの国にいる一人一人の可能性をいかに最大限引き出せるか。そのためにすべてよりよい教育機会を届けたいです。
国や社会がよりよくなるように、特に子どもたちの可能性が広がるように、ルールメイキングを含むあらゆるアプローチで貢献できればと思います。